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25年後の小児科医

2001.1.1 江原 伯陽

飛行機雲

 霧に蔽われたサンフランシスコ湾に朝日が射す頃、泰子が運転する車は丁度ベイブリッジに差し掛かっていた。ほかの日と違って、今日月曜日はどうしてもUCSFに出かけて治療しないといけない患者がいたからだ。在胎22週の超未熟児であるナンシーの脳室シャントの日だ。2025年現在、これぐらいの週数で生まれた子はほぼ100パーセント正常に発育するようになって、20世紀末のように未熟児がゆえに障害を残すということは今の時代では考えられない。しかし、ナンシーのように、妊娠前の父母のDNA診断で、生まれる子が先天性水頭症になる可能性があると予め分かっていても、生みたいという母親の意思は尊重せざるを得なかった。

 車内からNICUを呼び出して、ナンシーの状態を確認した。車のモニターに映し出された人工子宮の中に浮かんでいるナンシーの映像からは血色もよく、心拍、呼吸、臍帯血管内の血圧や酸素飽和度も正常であった。既に10年前からNICUからは保育器がなくなり、その代わりに人工子宮なる水槽内で超未熟児をケアする手法が始まっていた。この方法によって在胎20週、300gの胎児でも母親の子宮外で生存可能となった。ほっとした泰子はそう急ぐこともないなと思い直して、アクセルを少し緩めた。

 泰子がアメリカに来てからすでに12年。中学校に上がった2002年から日本では英語が第2国語(ESL, English as Second Language)となり、中学、高校では英語教育が従来の文法、読解一辺倒のやり方から、完全に会話に主眼を置く方針に変わり、一般英会話が出来ないと大学に進学できないようになっていた。教育制度も従来の6,3,3,4制から6,6,4制に代わって、医学部の進学もcollegeを卒業してからという風に変わっていた。Collegeへの進学は日本国内のみのセンター試験方式から、全地球規模での統一試験に変わり、その試験を優秀な成績でパスした泰子はオックスフォード大学のQueen’s Collegeを選び、4年間じっくりとイギリス式の論理的な思考を叩き込まれた。ここで学んだ生物学、物理学、化学と生命倫理学が今日の小児科医としての泰子の基礎を支えているのはいうまでもない。医学部に入る前に、泰子は一年間休学して南米のペルーで奉仕活動をした。既に開発された10種混合ワクチンによって、20世紀に人類を脅かした麻疹、風疹、ポリオ、おたふく風邪や水痘などは既に地球上から消滅した。また、10年前に開発されたエイズワクチン、およびロタウイルスワクチンのおかげで、開発途上国での栄養失調による乳幼児の死亡はなくなり、むしろ爆発的な人口増加を招くようになっていた。ペルーではインディオたちに避妊と成人病予防のキャンペーンを手伝うのが主な仕事だった。そこで疫学の方法論を体験したことは彼女にとって貴重な経験であった。

 都会的な生活にも憧れた泰子は、ニューヨークのコロンビア大学医学部に運良く入ることができた。ここでの医学教育は徹底した現場主義で貫かれていた。1年目から病院の病棟に配属され、患者の疾病も去ることながら、その患者が現在その病気によってどのようなことに悩み、何が不満なのか、などの人間観察学なども初期の必須科目になっていた。問診や聴打診などもマンツーマンで担当医から徹底的に叩き込まれた。医学がこれだけ発達している21世紀の現在でも、このような基本的な診察能力は、緊急災害医療に欠かせない能力として要求されるからだ。解剖学や分子生物学などの科目は全てコンピュータによって3次元的に学習するのでさほど難しいとは思わない。診断の手順や鑑別診断も全てコンピュータのガイダンスに従えばいいので、憶える必要もない。むしろ、いかに患者に納得してもらえるように説得できるかなどのヒューマン コミュニケーション学がより重要になってくる。つまり、どのような薬を処方することよりも、処方した薬をどのようなモチベーションでちゃんと最後まで飲んでもらえるかといったhuman behavior的なcomplianceが課題である。外科手術も最近は殆どがロボット工学の導入で、手技自体が以前に比べるとはるかに簡単になり、つまらないので近頃外科医志願者がどんどん減っている。

 さて、UCSFに着いた泰子は、待ち構えていたナンシーの両親に、コンピュータグラフィクスで術式を一通り説明した後、さらに今までのデータにもとづいて今後の予後もおそらく良好である旨を伝えた。ガラス越しに両親の見ている前で、人工子宮の水槽内で3次元エコーを用いて、脳室を確認しながらシャントチューブを無事に挿入できた。あとのケアはレジデントやナースがフォローしてくれるので、開業しながらこのような施設と人材を好きなように使えるのはありがたいことだ。学問的についていけないとか、孤独だとかということもない。帰りにマリンカウンティーに寄って夕食のロブスターを買い、久しぶりに夫とシーフード料理を堪能した。

 火曜日は泰子にとって一番安らぐ日でもある。音楽が好きな彼女は、今でもオークランドシンフォニーの第一バイオリンを担当している。音楽の持つ心を癒す不思議な力に注目して、約30年前に『音楽療法』が始まったが、今ではどの医学の分野でも比較的重症な患者の治療には欠かせない治療法の一つになっている。昔は、病院の待合室で長時間待たされる患者にBGMを流す程度の意味合いしかなかったものが、今ではどの曲のどのフレーズにおいて、どれだけ人体のドーパミンが分泌されるかなどの臨床実験もほぼ終了していた。患者の心理状態によってどの曲を聞かせるべきかなども、医師の腕の見せ所である。昔は何千曲ものCDを所有していたマニアックな医師も居たが、今では、全ての曲はインターネットを通して全て入手できるので、医師は単に曲名を数曲処方してあとは患者にそのなかから選んでもらえばいいようになっている。泰子も今まで拒食症や自閉症(現在ではそのDNA配列も明らかになった疾患)の子どもにα波が出やすい心地良い、しかもゆったりとした曲を聞かせてきた(受動療法)が、今日は思い切ってそのメロディーを電子ピアノで弾いてもらうことにした(能動療法)。場所は週に一回UCLAバークレー校の音楽学部と契約しているので、子ども達は両親と一緒に、午後2時にスタジオに集まってきた。楽器の手配から場所代まで全て保険適応になっているので、患者の負担はゼロである。今日泰子が選んだメロディーはショパンのピアノコンチェルト2番の第二楽章『ラルゲット』。泰子がまず、そのあまりに切なく甘美なメロディーを弾き、それに続いて子ども達は両親の助けを借りながら、ゆっくりと鍵盤の上を指でなぞっていく。途中たとえ間違っても、電子ピアノはそれなりに和音を合成してくれるので一応ハーモニーにはなる。その和音の心地よさに感激しながら、子どもたちは徐々に両親と一緒になって合奏していく。こうしてゆっくりではあるが、人と人の共同作業を通して心の扉が開いてくれるのがねらいだ。20世紀末に起きたあまりに凄惨な青少年たちの犯罪に直面してから、ようやく教育関係者は人格形成における音楽や美術の重要性に気づき、collegeを卒業するまで最低週3回の授業が科せられるようになった。大学卒業するころには、殆どの学生は何らかの楽器が弾けるようになり、その後の人生の糧になっている。泰子自身も、オーケストラを通して自己表現の場を得られるようになってからは、『随分穏やかになったなあ』と夫に誉められるようになった。

 水曜日は診察日。泰子のオフィスはカリフォルニアパシフィック病院のすぐ横にある医療ビルの3階。数名の日系2世の小児科医と共にグループ診療に当たっている。診察して何か検査が必要と感じたら、すぐに患者を横の大病院に送り、血液検査、生理検査、その他の大掛かりな検査もたちどころにできる。今日の相棒は60歳過ぎの斎藤先生。予防接種がこれだけ発達しているので、殆どの伝染性疾患は小児科外来から消失しつつあった。ですから、昔のことをよく知っている斎藤先生が一緒だと本当に安心だ。しかし、オフィスに入るなり、斎藤先生からいきなりぼやきを聞かされた。『まいったよ!夕べのオンコールは、一晩中不安神経症のお母さんから薬の飲み方で何度も起こされたよ!』。患者の人権が発達している現在、夜間や休日において患者から医師にアクセスできないことは法律で禁じられているので、開業医師はみんな輪番でオンコール体制を敷いている。

 今日の患者は、生後5才ごろから異常運動、痙攣を繰り返す男児。直感で泰子はTay -Sachs病を思い浮かんだが、確証はない。患者の両親も遺伝性疾患をひどく心配していた。21世紀初頭に人類のDNA配列が解明されてから、それまで原因不明だった色んな疾患が次々と究明され、遺伝子治療もどんどん開発されていった。およそ地球全人口の7割の人々は、既に自分達のDNA配列を検査してもらっており、そのデータは国を超えてWHOが一元的に管理していた。この子の場合も、出生時に既に検査は済ませていた。ただし、その結果を利用する場合には、厳しい基準が設けられている。このケースのように症状が既に出現しており、本人と両親およびWHOの審査に合格し登録した医師の3者間の合意があれば、データは比較的容易にアクセスできるようだ。泰子は症状と検査データをコンピュータの検索に掛け、上記の診断にほぼ確定したので、両親に説明し同意を得た上で、思い切ってDNAのデータベースにアクセスした。結果は両親ともヘテロ保因者だったための症状出現とわかった。泰子は早速コンピュータで遺伝子治療センターを呼び出して治療のプロトコールを取り寄せ、両親と治療のスケジュールを相談し始めた。また、今後次の子の妊娠をする際、1/4の確率で同疾患にかかる可能性があることも念のために説明した。

 現在の小児科医が取り扱う疾患は、30数年前のそれとはかなり異なっている。外来患者の大多数を占めていた風邪は、インフルエンザ同様、毎年1回の風邪ワクチンの経口投与で殆ど予防できるようになり、また外来での風邪ウイルスの診断キットが発売されてからは、以前のようにむやみに抗生物質を使用することもない。小児科学自体が、疾病治療の時代から予防医学の時代にシフトしていた。残るのは、遺伝性疾患と不慮の事故ぐらいである。そのために、乳児死亡率も昨年から0.1%よりも低下している。20世紀末のアメリカの好景気で、21世紀初頭から日本のように国民皆保険制度を導入し、予防接種の料金も全て保険適応になっている。夜はNICU婦長の誕生日パーティーなので、みんなでパロアルトの広大なお屋敷に押しかけ、夜中まで飲み明かした

 木曜日の朝、まだベッドのなかで夢心地のさなか、けたたましい緊急メールの音で飛び起きた。コンピュータを立ち上げるとサンノゼ市の健康福祉部長が画面の向こうで叫んでいた。日系人が次々と悪寒、高熱と吐き気と下痢でサンタクララ郡立病院に次々に担ぎこまれているという。現在全米各地区にはそれぞれ感染症対策の医師が配置されており、丁度サンノゼ市が泰子の担当であった。このような資格を取るためには、全てアトランタにあるCDC(Center for Disease Control)内のEIS(Epidemiological Intelligent Service)で一年間みっちり集団感染などの時に調査する疫学的な手法を学ばなければならない。ペルーでの経験もあって、泰子は喜んでこのトレーニングを受け、現在のポジションを得た。早速現地に出かけ、便の細菌DNA解析をしたところ、サルモネラオラニエンブルグが検出された。日系人だけに症状が見られることから、どう考えても日系人の集まりでの集団食中毒としか考えられない。丁度、昨日ここで日系人秋祭りがあったばかりだ。早速そこに出店した屋台のリストを提出させ、患者達に試食した店にマルをつけてもらった。共通項はイカ焼きと出た。祭りには大勢のアングロサクソン系の人もいたが、なぜ彼らに症状が出現しなかったかというと、彼らは決してイカやタコなどの軟体動物を試食することがないからである。どうも客が多すぎてイカに十分に火を通すことが出来なかったのが原因のようだ。これで一件落着。帰りに日系人会に立ち寄り、主催者側に注意を与え、来年は決してこのようなことが起きないようお願いした。EISはこのように感染症だけでなく、生活習慣病や禁煙などに至るまで、ありとあらゆる疾患の集団対策にも対応しており、公衆衛生の実践を目指す職種の人たちのメッカでもある。20世紀末の時、このような訓練を受けないまま、学校の校医を任されていた小児科医がいたと聞くが、気の毒としか言いようがない。

 金曜日の午前中は在宅診療。現在では全ての家庭にコンピュータと高解像度のビデオカメラを備え付け、データ転送可能な体温計と聴診器や血圧計などを持っているため、患者は単にカメラの前に座っていれば、診察室で医師と対面するのと同じ診療体制が取れた。それでも自宅に居る泰子は、一応白衣に袖を通してコンピュータ前に座った。患者に病歴を聞いた後、患者の体温は自動転送で泰子のモニターに現れた。また泰子は患者に聴診器を自分の胸にあちこちに当てるように指示し、胸部音も泰子のスピーカーからきれいに聞こえた。咽頭所見は患者に口を大きくカメラの前で開けさせると、きれいに画面上に現れた。『あ!へルパンギーナですね。解熱剤を処方して、薬局に転送しますから2時間後の宅急便でお宅に届くと思います。熱が続くようでしたら、また見せてください。』という具合で診察をこなしていった。もちろん患者は0割負担なので、会計も窓口にて現金で支払うこともまく、全て保険者から電子マネーで直接泰子の口座に振り込まれる仕組みになっている。診療所に出勤しなくていい分だけ、行きと帰りの2時間の節約となった。どうしても気になる患者だけ、次回診療所に来るように伝えている。

 在宅診療が一段落したところで、泰子は最近全米で行われた学会のプログラムをweb上でブラウズした。昔のように大きなコンベンションセンターで、一度に数百の演題を同時に発表して、そのために聞きたい発表を聞きそびれるということもない。聞きたい演題をクリックするだけで、発表内容がたちどころに画面上に現れ、何回でも繰り返し見ることができ、ダウンロードしてデータを保存することもできる。質問がある場合には直接演者にメールを送れば良い。泰子の研究テーマである小児の音楽療法の発表があれば、自動的にメールで知らせてくれる仕組みになっているので、見逃すこともない。今夜はオークランドオーケストラの練習日。だから午後の時間は、自分のパートである第一バイオリンの練習に費やした。たとえどんなに科学が進歩しても、自らの手で自分の感性を磨く習慣だけは、いつまでも大事にしたいつもりだ。

 今度の土日は、夫のジョンと彼の友達仲間とでヨセミテ国立公園でキャンプする予定です。新鮮な空気を胸一杯に吸い込んで、氷のように冷たい渓流に足を浸かりながら友人とたわいのない会話を交わし、まだ歩いたことのないtrailsに足跡を残したい泰子の願いは、実は25年前の小児科医のそれとまったく同じであることに、彼女は気づく由もない。

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