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「ニコニコキャンプ」顛末記

ニコニコキャンプ実行委員長 江原伯陽

和紙ちぎり絵Ⓒ森住ゆき 画像の転載禁

3.11東日本大震災は、阪神大震災を経験した人にとって、テレビの映像からすぐにこれはケタ違いの大災害であることが分かった。そして10 年単位の長期戦になることも直感として理解できた。NICU 現役のメーリングリストでは、被災地の悲鳴に呼応するかのように、救援物資を届けるためのトラックが次々と出発していた事が報じられていた。一刻も早く救援に駆けつけたいが、悲しいかな、開業医の身とてお呼びがかかる事もなく時が過ぎていった。しかし、阪神の経験から、とにかく国民のモチベーションが高いうちに、募金を開始することが先決だと決断し、「救児募金」と命名し、小生が事務局を務める赤ちゃん成育ネットワークが中心となって募金活動を展開した。

4 月4 日、この募金の使途を管理する委員の一人である埼玉医大の田村正徳教授から一通のメールが届いた。東京愛育病院の産婦人科の先生が翌日、紀子 妃殿下にご進講するので、何か意見があれば1時間以内に返事をするようにとのこと。「阪神大震災の時もそうしたが、その後兵庫県で台風被害がある度に、被災した児童のために行ってきたYMCAのキャンプなら子どもストレス発散や心のケアに役に立つかもしれない。ついでに那須の御用邸をそのために開放していただけるとありがたい。」と折り返し返事を差し上げた。ほどなくして、愛育病院を通じて、小規模でも良いからキャンプを開催したいとのご意向が小生のもとに伝わってきた。

それならば、場所と開催時期、それと開催母体を早急に決めなければならない。愛育病院院長秘書であり、ガールスカウトの経験も豊かな山崎亜子さんとの間で頻繁にメールのやり取りをしていく過程の中で、開催場所はとにかく放射能の影響がなく、しかも被災地からあまり遠くない必要があったので、栃木県ボーイスカウトの那須野営場が候補としてあげられた。しかし、ボーイスカウトとのツテがないため困っていたところ、ふと恩師の大阪府立母子センター総長の藤村正哲先生が昔ボーイスカウトをされていたことを思いだし連絡を差し上げたら、早速、先生の直接の指導者だったボーイスカウト大阪連盟で役員をしている佐藤祐弘氏を通じて野営場を借りることが出来た。しかもこの野営場は藤村先生がボーイスカウトで言う免許皆伝のウッドバッジを授かった思い出の場所だそうだ。

こうして、日本初のボーイスカウト、ガールスカウトとYMCAのキャンプ3団体と順天堂大学のChild Life Specialist 田中恭子先生や国際災害支援のエキスパートである大阪大学中村安秀先生などの代表が、6 月11 日に愛育病院の会議室に集まった。キャンプの対象地域を比較的支援が遅れている福島県とし、さらに津波の被害だけでなく、放射能汚染からの避難民が押し寄せている相馬市をターゲットに絞ることに合意した。幼稚園児以下はまだ親元から離れられないため、必然的に小学生低学年以上が対象となった。何よりも招待する児童の家族とコンタクトを取るために、地元の教育委員会を通して各小学校にチラシを配布すると同時に、相馬市の情報を収集するために、現地の小児科医とのメール交換が始まった。地元公立相馬総合病院小児科部長の伊藤正樹先生によれば、やはり外来に訪れる患児だけでなく、その親たちも心理的な動揺が感じられるという。そのため、キャンプで子どもたちに付き添う大学生のリーダー達向けに、肉親の喪失や子どものPTSDについて学習する必要があると思われた。それで7 月3 日に国立成育医療センターの奥山真紀子先生や関西学院大学の井出浩教授をはじめとする児童精神領域のエキスパートによる事前研修会を愛育病院で開催し、紀子 妃殿下のご臨席と励ましを賜った。

ほどなくして、相馬市教育委員会から定員70 名のところ450 名も応募があり、あらためて子どもたちのストレスの高さに驚いているとの知らせが入り、その選別方法についてはとにかく被災が最もひどかった中村第二小学校と磯部小学校の2校を最優先にするとのことで、最終的には120 名に絞られ、キャンプも2回開催することで受け入れが決まった。7 月18 日には親御さんの心配を払拭するために現地に入り、説明会を開催するとともに、どうしても被災地を車で回り、この目に焼き付ける必要があった。きれいな松原だった松川浦や海水浴場で賑わった原釜は何もかもが洗い流され、見渡す限りの荒野に様変わりし、相馬漁港には折れ曲がったクレーンが横たわり、新地町は瓦礫の山で埋もれていた。そうした被災現場の平野に立つと、単なる悄然とした静けさしか伝わってこない。しかし、いざ現場近くに残った建物に入ってみると、津波の破壊力のすさまじさに圧倒されるだけでなく、それに翻弄され、掻き回された人々の無念さと、それでも必死に生きようとする人々のあがきが、泥を被った家財道具や押しつぶされた車の隙間から伝わって来る。

その中で、肉親や友人、回りの方々の生命もが奪われ、またはそれを目撃した子どもが少なからず居る。あるいは、死の恐怖を身近に感じ、心理的なショック(PTSD)を受けた方々も大勢居られる。このように、幼少期に心が押しつぶされるような喪失感や恐怖体験をすることは、のちの人生において人格形成にも影響を及ぼしかねない。この地区の子ども達を受け入れることの重さをあらためて実感させられた旅となった。

8 月1 日、初陣の70 名余の子ども達を迎えるために、総勢50 名を越えるスタッフはバスが到着する自然の森の入り口に並んだ。子どもたちには目一杯楽しんでほしいとの思いで、到着した子どもたちには、思い切りシャボン玉を吹き、舞い上がる虹色のトンネルを通ってもらい、精一杯の出迎えをさせてもらった。

出迎えの隊列には当赤ちゃん成育ネットの顧問でもある仁志田博司先生や中村安秀先生の姿も見られ、心強い限りであった。キャンプ中、とにかく子どもたちが思い切りストレスを発散できるよう、ドッジボール、やフリークライミング、さらにマシュマロ焼きや楽器づくり、ついにはオリエンテーリングやキャンプファイアまで、様々なイベントが次から次へと催された。そして葉加瀬太郎さんやSPEED の今井絵里子さんなど、子ども達を驚かせる著名人の演奏まであった。夜には絵本読み聞かせによる気持ちの落ち着かせや楽しい昼食時のキャンプソング、さらに子どもが持つ創造性を引き出すために、積み木による都市の建設と壊しを繰り返し経験してもらい、再建可能な体験をしてもらった。しかし、家を流された子どもが25 名、さらに親を亡くされた児童が終始うつむいたまま、リーダーに連れられて歩いていた姿を見るに付け、このキャンプがどれだけ子ども達にとって良い体験になったかは、ついに自信を持てないまま終わってしまった。

しかし、キャンプが終わる前夜、疲労困憊だったリーダー達が徹夜で子ども達に手紙を書き、そして別れ際にリーダーに抱きついて大泣きしていた悪ガキどもを見るにつけ、人と人の気持ちの通い合いが子ども達を前向きな気持ちにさせ、その信頼がやがて子どものレジリエンスにつながっていくかもしれないとの思いがふと心をよぎった。そして、何よりもマルマルモリモリの演奏を聴いて思わず踊り出した子ども達の可愛さに、私自身救われた気がした。

このキャンプに参加していただいた愛育病院の中林正雄院長、新生児科の加部一彦先生、佐藤紀子先生、及び日本小児科医会の峯真人先生ほか、大勢の方々には本当にお世話になった。そして、何よりも二度のキャンプとも連日ご来臨賜り、絵本の読み聞かせやピアノ、さらに大縄飛びまで、子ども達にずっと付き添ってくださり、しかも被災されたスタッフを慰め、涙された紀子 妃殿下にはなんとお礼を申し上げて良いのか、言葉の申し上げようもない。

今回、事前に研修したことにより、「キャンプ」というnon-specialized supports (非専門家によるサポート)による一種のgroup intervention(集団への介入)を行ったが、その効果のほどは数十年の星霜を経なければ分からない。しかし、「朝が昼の証を示すごとく、幼き時代は成人の証となる」(J・ミルトン 「復楽園」)のごとく、わたし達大人はただ、子どもたちが震災によって失いかけた「自己肯定感」と「素直さ」を取り戻し、将来にわたって人への「信頼」をより強固なものになるよう、今、少しでもお手伝いすることが大切ではないか?そのためには、支援する側は常に自戒を持って高ぶることなく、情けは人のためならず、己の心に届いた子どもたちの声無き声を、静かに聴き入る一時を持ちたいものである。

皆様から寄せられた浄財が、このような形で被災地の子ども達に少しでもお役に立てられたことを申し上げ、御礼の言葉に代えさせていただきます。そしてボーイスカウトのモットーである「備えよ 常に」が身に沁みて、学ばせていただきました。亡くなられた方々のご冥福と被災された方々の一刻も早いご回復を祈りつつ…。

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